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世界の"おもしろそう"を日本語に訳します



SEKAIWOYAKUSU

世界の"おもしろそう"を日本語に

”知ったかぶり”の科学

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なぜ、私たちは物事を何でも知っているふりをするのでしょうか?また、知識に自身がある人びとの中には、実際は無知な人もいます。アメリカのブラウン大学で認知科学の教授を務めるスティーブ・スローマン氏は、こういった疑問を説得力をもって解決できる答えを知っています。彼は、「私たち人間は、常に正確性を持っていなければならないというバイアスを持っており、正しくならなければならないのです」と語っています。

知ってるつもり - 無知の科学の著者でもあるスローマン氏は、人間の判断、意思決定、理論的思考に関する研究を行っています。特に"説明的能力の幻想"という現象に関しては、大きな関心を寄せています。これは、認知科学者たちが"どのように世界が成り立っているのか"について私たちが深く理解しているようなふりをする傾向にあることを示す用語です。

スローマン氏は、私たちが知ったかぶりをする理由は、他者の心に対する信頼にあると主張し、「私たちが作る意思決定、考え方、判断は、他者が何を思っているかに大きく依存している」と説明しています。

もし、私たちの周りにいる人びとが何かについて間違っていたとしたら、私たち自身も同様に間違っている可能性が高いのです。事実が構成される過程も似たようなものです。 下記にあるインタビューで、私はスローマン氏と「正しくないことを信じる」という問題について語り合いました。私は、彼の"政治的な影響力"に関する研究に関する質問と「オルタナティブ・ファクト(代替的な事実)とフェイク・ニュースが私たちの認識の偏りを増幅していると思うか」について尋ねました。

下記の会話は、理解しやすいように少しだけ編集してあります。

 

ショーン・イリング 人びとはどのように意見を形成するのでしょうか? 

スティーブ・スローマン 私は、私たちの考え方は眼前にある事実よりも自らが属する社会的な集団による影響を受けて形成されると考えています。ようするに、私たちはお世辞にも論理的とは言えないのです。実際には、多くの人びとは全く物事を考えるという作業をしたくない、もしくは考えるという作業をできるだけ少なくしたいと思っています。ここで言う"多くの人びと"とは、全人口のおそよ70%の人びとのことを指します。残りの30%の人びとでさえ、事実だけに基づいて信頼できる考えを形成しているわけではありません。彼らは、時間やエネルギーといったリソースを自分たちが正しいと思いたい考えを正当化しているだけなのです。

あなたが自身が属する社会的な集団において、その多数派の考えとは相反する事実を述べたとしましょう。多数派に対して異議を唱えることには、代償が発生します。例えば、私がドナルド・トランプ氏に投票したと表明したとします。そうすると同僚である大勢の教授や研究者たちは、私のことを狂っていると思い、私とは話したくないと思うでしょう。これは、社会的な圧力が私たちの認識論的なコミットメントに影響を与えている良い例です。また、私たちはこういった社会的圧力が私たちに影響を与えることに気づいていません。

ショーン・イリング 私たちは、知識の集合体で生きていると言えますね。

スティーブ・スローマン その通りです。私たちが持っている考えの全ては、周りにいる人びとが持っている考えに依存しているのだと思います。例えば、道を横切る際の私の行動は、通行している車の運転手が何を考えているかを考慮した上で決定されます。また、バスに乗れば、私が無事に目的地に着けるか否かは、運転手の頭の中の考えにかかっています。

私が移民に対する私の考えを表明する際には、実際に私は何をしているのでしょうか?または、私は移民について実際に何を知っているのでしょうか?私は、とても限られた世界で生活しているので、周りにいる他者の考えや知識に頼らざるを得ません。私は、自分で本やテレビで流れていた専門家の意見については知っています。しかし、私は移民という問題を直接的に体験したことがないのです。国境を訪れたこともなければ、勉強したこともありません。

こういった意味では、私たちが作る意思決定、考え方、判断は、他者が考えることに大きく依存しているとは言えないでしょうか。

ショーン・イリング こういった現象には明らかに危険が潜んでいますよね?

スティーブ・スローマン そうですね。1つ目の危険は、個人が周囲にいる他者がある事柄について理解しているから、自分自身も理解していると思っていることです。また、同様に周りにいる第三者も周囲にいる他者がある事柄について理解しているから、自分自身も理解していると思っているといった連鎖が起こると、実際に自身が表明している意見や考えについて正しく理解している人は皆無であるという疑いが生じます。

ショーン・イリング 私たちは、私たちが置かれている政治的な状況について考えます。しかし、大多数の個人は、自分が思っているほど現在の政治的状況を理解していないにも関わらず、自分は広範にわたる政治的な問題を正しく理解していると自信過剰になっているんでしょうね。なので、私たちが政治について議論しているとき、実際は何について議論しているのでしょうか?政治における問題を解決しようと議論しているのか、それとも自らの正確性を保つために議論しているのでしょうか?

スティーブ・スローマン 私は、あなたが議論の目的として挙げた問題解決と正確性の保持の間に明白な区別があるのかは分かりません。政治を始めとする私たちが議論する多くのトピックについては、私たちは何が事実であるのかを聞くことも、みることもありません。よって、私たちは社会的な総意(コンセンサス)に依存し議論しているのです。よって、議論は自身の意見が正しいと他者を説得すると同時に、自身も自分の意見が正しいと説得するために行われているわけです。

もちろん、私たちは"正確性を保たなければならない"という社会的なバイアスを受けていますし、そうあるべきです。もしそうでなければ、私たちは問題について議論するために全ての過程を改めてこなす必要があり、これでは過去の議論は、水泡に帰すこととなります。

それにも関わらず、人びとはこの点に異論を述べるでしょう。私たちは、"正しくなければならない"といういわば強迫観念を持っています。これは、自分の周りにいる人びとは正しくあってほしいと望んでいるわけです。これを実現させることは簡単です。なぜなら、周りの人びとと同じ意見や考えを述べれば良いわけですから。そしてより能力が高い人は、自身が属するコミュニティの先入観に沿って新しい真実を解釈する方法を見つける傾向にあります。

しかし、一部の人びとは、独立して主張を検証したり、他者の意見に公平に耳を傾けたり、データが示す客観的事実を受け止めることで群衆から抜け出そうとしています。実際にこういったことが出来るように訓練を受けている人びとがいます。それは例えば、科学者、裁判官、法医学調査員、物理学者などです。しかし、彼らは訓練を受けているからといって、前述の行為を常に行っているわけではありません。職業柄、主張の検証、他者の意見の傾聴、データなどの客観的事実の採用といったことを行うべき人びとであるということです。

私は、社会の常識や規範に逆らってでも物事を正しくすることに重点を置くコミュニティに暮らしたいと考えています。それは、人びとに常に社会的な緊張を強いるでしょうが、それだけの価値はあると思っています。

ショーン・イリング これは私たちが”説明的な深度の幻想”と呼んでいる現象で、全ての人間が抱える問題です。

スティーブ・スローマン その通りですね。私たちのデータが明確にそれを示していますよ。

ショーン・イリング そのデータはどのように集めたのですか?こういった傾向を調べるためにどんな実験を行ったのですか?

スティーブ・スローマン 私は、私の研究所やインターネットを介して実験しています。アメリカの平均的で代表的なグループを探し出し、いくつかの質問をします。質問のほとんどは仮設的なものです。政治・政策に関する幻想を検証する場合は、最初に政策に対する自身の理解度と考えを評価してもらいます。

次にその政策に関して自身で説明するように求めます。その後、改めてその政策に対する自身の理解度と考えを評価してもらいます。その結果、実験に参加した人びとは、平均して自らの政策に関する理解度と考えに対する評価を最初の評価よりも低くすることが分かりました。要するに、説明をさせることで自身が政策について深く理解していないことに気づき、評価を下げたわけです。

ショーン・イリング 知識を多く持つ他者に依存することは悪いことなのでしょうか?私たちが自身で学んだり知ったりすることは限られていますから、他者に頼らざるを得ないと思うのですが。

スティーブ・スローマン 私は、他者の知識に頼ることは必要だと思っています。それ以外に選択肢はないのです。一人の頭脳で全てを習得することは不可能ですから、他者を頼る必要があります。この対応は、完全に合理的です。だからといって、私たちは幻想のなかで生きる必要はありません。もし、あることに対して理解していないのであれば、理解していると考えたり、理解しているふりをする必要はないのです。しかし、人生を上手く生きるためにときには知ったかぶりをしなければならないという人びとの意見も理解できます。

ここでの問題は、私たちが全く不当な考えや政策を支持することが多すぎるということです。

ショーン・イリング ここからは、とても厄介な領域ですよね。無知と自信は混ぜると危険です。無知なのに自信をもって意見や考えを主張することで、それがまた無知な他者に対して大きな影響を与えるわけです。これを阻止する方法は本当にないんですよ。

スティーブ・スローマン その通りですね。これは一種のとても危険な、傲慢や自惚れにあたるものです。私たちの大統領がいい例ですね。しかし、私たちが真剣に議論し、考えなければならないのは、この政権を作り出した私たちのコミュニティーについてです。トランプ大統領の嘘を聞くのには耐えられません。しかし、もっと耐えられないことは、44%のアメリカ国民が主流メディアの報道よりもトランプ大統領の発言を信じているという事実ですよ。

本当にこの自体には嫌悪感を持ちます。なぜなら、メディアよりもトランプ大統領の発言を信じるという多くの人びとが存在するという現状が彼にさらなる力を与えているわけですから。

ショーン・イリング ”フェイクニュース”と”オルタナティブ・ファクト”がとても有害になっている理由はそこにあります。

スティーブ・スローマン 本当にそのとおりです。この現象は右翼と左翼の両方で起こっていることで、心配になりますよ。

ショーン・イリング 私たちの推論や倫理的思考が向上していることを示唆する証拠はあるのでしょうか?私たちは、認知バイアスを徐々に克服しているのでしょうか?

スティーブ・スローマン その質問に対する私の返答は、8ヶ月前のものとは全く異なります。

ショーン・イリング 私が推測するに、あなたはインターネットと分断されたメディアの状況が事態を悪化させていると思っていますよね。

スティーブ・スローマン 私たちが以前よりもさらにバブルに落ちいていいることは明らかですよ。私は、この事実をアメリカの約半分の人口が認識していないことにショックを受けています。私には、彼らが考えていることが全く理解できませんし、これは今でも変わりません。私は努力はしていますが、私の周りにいる人びとは全員が私と同じような考えで物事を見ていますし、ミシガン州のグランドラピッズににいる人々は、全く違う考えで物事を見ていると思います。しかし、私はそういった人びとに話しかけようとは思いません。

インターネットは、明らかにこの状況を悪化させています。私たちはいつでもインターネットを介して、ある考えを信奉する信者とコミュニケーションを取ることもできれば、そういった考えに賛同するコミュニティーを作ることもできるわけです。実際にに、私たちのニュースは個人化されており、状況の悪化を推し進めています。私が、私とは異なる考えや意見を持つグループについて理解しようとしても、Googleは常に私と同様の考えを持つグループのニュースやストーリを提供してくるのです。 これは全ての人類にとって悪影響です。

ショーン・イリング では、こういった問題に対する実践的な解決策はあるのでしょうか?より、自己意識を強め、自己の意見や考えの形成を行うプロセスにおいて受けるバイアスを少なくする方法はあるのでしょうか?また、より賢い知識をもつコミュニティーを見つけるにはどうしたら良いのでしょうか?

スティーブ・スローマン 思慮深い人びとは、幻想からの影響を受けにくいです。自身の思慮深さを測ることができるシンプルな質問がいくつかあります。その質問の1つは、「モーゼは、全て種類の動物を何匹ずつ、方舟に乗せたでしょう?」というものです。多くの人々は2匹ずつと答えるはずです。しかし、思慮深い人びとは正解である0匹と答えるでしょう。なぜなら、方舟に動物を乗せたのはモーゼではなく、ノアだからです。

このトリックは、結論を出すためではなく,結論を検証するためのものです。世の中には、前述の通り、世の中には科学者、裁判官、法医学調査員、物理学者といった結論の検証を推奨するコミュニティーは数多く存在します。今日から、私たちは人びとに対して「それは本当?」といった単純な質問をすることで、周りにいる人びとが徐々に意見や考えの正当性について考え始める良い機会となるでしょう。世の中にある全てのコミュニティーが、結論や正当性の検証を受け入れられない理由はどこにもありません。問題は、耳障りの良い聞きたいことのみを伝えること、そしてそれに同意することで周囲の人びとを良い気持ちにしなければならないとい強い強迫観念があることです。

私たちは、この問題に対する解決方法は、会話の本質を人びとの価値観や信じたいと思うものから、客観的な事実や結果に移すことではないかと研究を進めています。事実や結果について話していると、実際に起こっていることについてへの注意力が散漫となりますので、私たちの心や頭で起こっていることへにも注意を向けることが重要となります。

 

元記事:Why we pretend to know things, explained by a cognitive scientist