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世界の"おもしろそう"を日本語に

資本主義が終焉した後 - Part.1

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資本主義はどのように終焉を迎えるのだろうか?

数世紀にわたり、資本主義という経済システムを支持してきた理論家でさえ、資本主義は世界のためにならないと考えている。

英国の著名な経済学者であるアダム・スミスデヴィッド・リカード、そしてトマス・マシューズは、"利益率の低下"は農業の避けられない生産性の低下にリンクしていると指摘していた。マルクス主義を唱えたカール・マルクスは、アダム・スミスたちの指摘は工業の生産性にもあてはまると語っている。

ようするに、労働者が機械に取って変わられるという流れが、人間から労働機会を奪い、これが慢性化し克服できないものとなるという指摘だ。ドイツ歴史学派の最後の経済学者と称されるヴェルナー・ゾンバルトは、資本主義の手に負えないほどの進化・発展こそが、資本主義が成功するためのカギだと捉えていた。最終的にゾンバルトの考え方は間違いであった。なぜなら、資本主義のもとで創出された利益は、その国の中心部に集中するからだ。

現在のチェコである旧オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者であるヨーゼフ・シュンペーターは、資本主義に対して最も悲観的だった経済学者だろう。1942年に発表された「資本主義・社会主義・民主主義」という彼の代表的な著書には、"資本主義は生き残れるのか?"と題された章があり、彼は「資本主義は生き残れないと考える」と明確な回答をしている。シュンペーターはマルクスに大きな影響を受けており、資本主義の先に待っているものは次のようなものであると予想していた。

連続したイノベーションによって大企業が作られ、大企業がもたらすイノベーションはただのルーティーンにすぎないという現実に民衆は強い疲労感を覚える。特に、前時代的な中産階級はイノベーションによってオフィスで働くようになることに陳腐さを覚えさせる。

「商業と工業の分野において成功を収めるには、スタミナが必要であるが、商業・工業分野の貢献は、騎士の視点からみれば基本的に非英雄的なことだ。なぜなら、そこでは剣術を競うわけでもなければ、身体能力の高さも、鎧を着て敵の中を馬で駆け抜ける必要もないからだ。これは騎士道からすれば異端なことである。決闘や勝利を美化するイデオロギーは、オフィスで働くことが一般的となった現代では当然のように薄れている」

シュンペーターは、ある時代には社会的に無視されていた知識人や文化人が抱いていた不満を政治という新しい戦場に持ち込み、資本主義に引導を渡し、社会主義が台頭するようになることを予想していた。

しかし、資本主義が世界の主な経済システムとなった20世紀をみれば、こういった予想は外れているといえるだろう。1980年代、人びとはシュンペーターが示していた別の推論に注目するようになる。それは、「新しいコモディティ、新しいテクノロジー、新しい供給源、新しいタイプの組織による競争こそが急速な経済成長の原動力である」というものだ。シュンペーターは、「資本主義の危機はその経済システムの脆弱性を表しているのではなく、これまで隠されていた資本主義の健全性に関する要素の表面化である」と考えている。

以前の景気循環は力強く活発であり、人びとはこの循環により経済成長が継続されると疑わなかった。市場を独占する大企業の影響力は一時的なものであり、それまでの常識やアイデアを打ち壊す独創的な新しい技術やサービスにより市場は刷新される。1960年代〜1970年代、難攻不落と思われていたアメリカの工業は、ドイツと日本との競合によって敗れた。シュンペーターはこれを予知していたようだ。

しかし、経済が活発的である期間は市場も健全な状態であるとは、必ずしも言えない。いくつかのクラッシュを経て、市場には停滞感が立ち込め、自由市場資本主義のかつての起爆剤の中で、秋の気配が再び明確になるのだ。過去数年で、多くのエコノミストがラリー・サマーズの「私たちは、世界中で低い経済成長が続く長期停滞期間に突入した」という考えに賛同している。

この問題に対する一般的な対抗策は緊縮財政だ。税率を低く抑えることで国の負債は増加し続ける。これは西側諸国が資本市場で自国の国債を富裕層に売ることで、実際には自国のエリート層に債券利回りを支払っているのだ。但し、これはエリート層に対しての税負担を増やすための法案を通すという、事実上不可能な政治的プロセスではない方法で、自国のエリート層から税金を徴収するための方法でもある。

財政政策の他に景気を上昇させる政治的手段を欠いていることで英国、ユーロ圏、そして日本の中央銀行は、政策金利を低く抑え、何兆ドルもの不換紙幣を金融システムに供給した。それにより、銀行とインターネット関連企業の資金流動性を確保し、富裕層には分譲マンションへ投資するように働きかけた。その間、中間層の収入は笑ってしまうほど低かったのだが。この方法は、経済を破綻させるよりはマシな方法というだけで、それ以上でもそれ以下でもない。自由市場を信奉する人びとが愛した経済システムは、完全ではなく、欠陥があるということに気づいた彼らの血管には、恐怖の寒気が流れ込んだことだろう。

現在の経済システムについて憂慮すべき点は、機械(ロボット)が私たちの職を奪う時代がやってくるということだ。The Second Machine AgeRise of the Robotsにも書かれている通りテクノフューチャーリストの新派は、製造業やサービス業の分野におけるホワイトカラーのさまざまな職業が機械によってオートメーション(自動化)されると予想している。

テクノフューチャーリストの一部の人びとは、人類の多くの仕事はポケットで持ち運べるサイズのデバイスで完結できるようになっており、これこそが前述の彼らの予想の根拠となっている。この現実は、すでに紙媒体の新聞社、レコード会社、旅行代理店、タクシー、カジノに関連する職業を破壊、もしくは不安定なものにしている。彼らが行った統計は憂慮すべきものだ。その中には、グローバル製造業の分野に携わる労働者のシェアが低下しているという事実が含まれている。

中国の製造業における労働者の数は1990年代にピークを迎えたが、現在ではピーク時から労働者の数が15%減少している。トルコ出身の経済学者であるダニ・ロドリックは、この過程を「産業空洞化の初期段階」と呼んでいる。この段階では、多くの発展途上国が資本蓄積を行なうための一般的なステージ(製造分野へ労働者を追加し、事業を産業化する過程)を省略することができるようになっている。テクノロジーが発達した現代では、蓄積した資本でより多くの労働者を雇用して事業を拡大するのではなく、既存の多くの労働者を機械に置き換え、製造業に携わっていた労働者をサービス業へと押しやっている。

驚くべきは、機械による自動化(オートメーション)は起こらないと主張してきた有識者たちがオートメーションについて冷静に、さらには楽観的に分析をし始めたことだ。オートメーションを支持する層の中でもっと有名なのは、加速度原理を推進するエコノミストであるアクセラレーショニストたちだろう。彼らは、Inventing the Futureの著者であるNick SrnicekとAlex Williamsによって作られた「加速原理的政治のマニフェスト」という考えに賛同している。

彼らのモットーは「私たちは機械による新しい支配を歓迎する」というものだ。加速原理主義の基本的な考え方は、「オートメーションがより社会に普及し、一般的になったことで、左派は一般大衆がブルーカラーの職種に就く人びとの中にいる労働組合主義者(ユニオニズム)と社会主義者によって、共産主義に先導されるのではないかという心配は必要がない」という立場をとっている。

アクセラレーショニストたちは、「人間の未来はコンピューターによって発展したオートメーションにより、賃金労働は非常に少ない人間への条件となり、既に過剰となっている人口は今後も地球を支配し続ける」と主張している。社会主義者は、勝利は仕事場からやってくると想像するだろうが、この点についてアクセラレーショニストたちは、そもそも未来には私たちが今働いているような形の職場は存在せず、オフィスに常在する労働者は限りなく少なくなっていると異議を唱えている。

こういった立場をとっているアクセラレーショニストたちに聞きたいことは次のような質問だろう。

「仕事を機械に奪われた未来において適切な社会的ビジョンとは何なのだろうか?」

「労働階級の社会主義者たちの夢が終焉した後の社会はどのようなものなのだろうか?また、それを左派は提示すべきなのだろうか?」

 

Part.2に続く

  

元記事:After Capitalism

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