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世界の"おもしろそう"を日本語に訳します



SEKAIWOYAKUSU

世界の"おもしろそう"を日本語に

奇妙な神経科学と不死 - Part. 1

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ハーバード大学のノースウェスト・サイエンス・ビルディングと呼ばれる建物の地下にある実験室のドアには、黄色とピンクで「危険:放射性物質」と書かれている貼り紙がつけられている。実験室内では、研究者たちが不機嫌そうな顔で手にはゴム手袋をしながら忙しそうに動き回っている。その中のひとりがKenneth Hayworthだ。彼は痩せていて背が高く、濃紺のジーンズ、青いポロシャツ、灰色のランニングシューズを身に着けている。彼は、睡眠も食事も少ししか取らないような人間に見える。

Hayworthは、過去数年間を窓のない実験室で脳を薄くスライスして切り分けることに費やしている。誰に聞いても彼は興味に満ちた男で、「人類の心は、コンピューターにアップロードできる。私たちは脳を保存し、薄くスライスしてコンピューター上に脳を構築し、ロボットの体に繋げることができるようになるだろう」という突拍子もないことを平然と言ってのける。彼は、コンピューター上に作られた脳と自分の頭蓋骨の中に入っている脳と交換したいそうだ。彼は、自然死する前に彼の脳にある1000億以上の神経細胞と100兆以上のシナプスを薄い琥珀色の半透明な箱に移したいのだ。

なぜかって?Hayworthはそうすることによって永遠に生きられると信じているのだ。

但し、不老不死を手にするには、まずは死ぬ必要がある。とても奇妙だ。

彼は、「もし、あなたの身体が機能を停止した場合、身体は自身を食べ始める。だから、細胞組織を壊す酵素を遮断しなければならない」と私に説明した。これはパッとしない春のとある朝になされた会話だ。さらに続けて「すべてが計画通りに進めば、私は完璧な化石になることができる」と嬉々とした表情で語っていた。そして、ある日、といっても現在からそう遠くないある日に彼の意識は、コンピューターの中に生き返るのだ。Hayworthは、2110年までに人間の心、つまり生物学的な意味での脳をシリコンベースのオペレーティング・システムにアップロード・移転させることができるようになり、これは今日のレーザー眼科手術のように一般的になっていると予想している。

Hayworthが話している内容は、SF映画の中でのみ起こっていることで、アイビーリーグ(米国北東部の名門大学の総称)の実験室で起こっていることだとは思わないだろう。しかし、Hayworthの考えることや行動を従来の一般的な人間のものと同様に扱うことはできない。彼の経歴を少し紹介しておこう。Hayworthは、41歳。NASAのジェット推進研究所のベテラン研究員で、自身を"風変わりで未来的な思想家"と表現している。南カリフォルニア大学を卒業するまで、彼は自身のガレージであるマシーンを作っていた。そのマシーンには、新しい脳の細胞組織の切り取り方が採用されており、切り取った脳の一部を電子顕微鏡に映し出すというものだ。彼の工学的に優れた知性と起業家なみの度胸は、彼が行っている神経科学の研究にマックナイト財団から寄付金を勝ち取ったほどだ。4月までは、ハーバード大学から博士課程修了の特別研究者として招かれている。

Hayworthが、なぜ自身の脳をプラスティネーション(人間や動物の遺体または遺体の一部(内臓など)に含まれる水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換えることでそれを保存可能にする技術のこと)したいかを理解するには、まずコネクトミクスという神経科学に含まれる新しい分野を理解する必要がある。コネクトーム(connectome)とは、生物の神経系内の各要素の間の詳細な接続状態を表した地図、つまり神経回路の地図のことだ。いつの日か、このコネクトームが私たちの意識、記憶、感情、そして自閉症、統合失調症、アルツハイマーといった病気の原因を解明し、その原因を治療することができるようになるという。2010年、アメリカの国立衛生研究所は4000万ドルを投じてコネクトーム・プロジェクトを設立し、複数の機関によってコネクトームの医療分野での活用の可能性を研究している。

コネクトームを研究する学者の中には、グランドセオリーと呼ばれる一般理論が定着している。人間はコネクトームであるという理論だ。つまり、人間という各個体がもつ考え方、行動パターン、感情という個性は、私たちの脳に書き刻まれているという意味だ。ゲノムは生涯を通じて変化することはないが、コネクトームは人生経験を通じて成形と再形成を永遠に繰り返すのだ。マサチューセッツ工科大学で計算論的神経科学の教授を務めるSebastian Seungは、コネクトームのグランドセオリーの著名な支持者で、コネクトームを"自然と養成の融合"と表現している。

Hayworthは、Seungの理論を数歩先へと前進させた。彼は、コネクトミクスの成長、特に脳の保存、細胞組織イメージ、ニューラル・ネットワーク(神経回路網)をコンピューターでシミュレーションさせること、そして死に対する治療法について考察を行った。人工意識国際ジャーナルに掲載された最新の論文において、彼は「心のアップロードには膨大な工学的な問題が伴う」と指摘した。しかし、革新的な科学的な技術やテクノロジーなくとも完成させることができることが1つだけあるという。

「死とは人間の1種の状態であるため、死を受け入れるべきだと主張する人がいる。私は、このような主張をする人々の一部ではない。」

こういった考え方は、世間一般に広まっているものではない。多くの識者たちは、Hayworthの意見は"不死"を示すものだと認識しており、エキセントリックな考え方で真剣に受け取るのはあまりにもバカげていると思っているようだ。ニューヨーク大学で神経科学と心理学の教授を務めるJ. Anthony MovshonにHayworthの不死に関する考え方について意見を気候としたことがあるが、彼は「いまの質問は聞かなかったことにするよ」と答えた。

しかし、Hayworthにとって科学とは、大方の予想をひっくり返すものであり、「もし、100年前に誰かが人工衛星が惑星の軌道に乗り回っていて、デスクの上には世界中の人々とコミュニケーションが取れる小さな箱を手にする未来がくると言ったら、奇想天外な意見だと思われただろう」と話している。いまから100年後、彼は私たちの子孫たちは、私たちがなぜ長い期間、不死を受け入れることができなかったのか理解に苦しんでいることだろう。公開されていない論文において彼は、「不死が役に発たない哲学に殺された」と書き、私たたちの孫たちは、「私たちは心臓疾患、癌、心臓発作で死んだわけではない。私たちは痛ましいほどの無知と迷信が原因で死んだのだと」と言うだろう。これは、私たちの意識に関して原理的に知ることが不可能なことがあるという考え方で、それは転じて、コンピューターに意識・心を再現することは不可能だという結論に繋がる。

Hayworthは、自身の考え方を嘲笑する人々を自らが招いていることを理解している。不死についての議論は、長いこと知的生活の片隅に追いやられてきた。不死は、人体の冷凍保存を行うことで有名となったアルコー延命財団があるアリゾナ州のスコッツデールやインターネット上でしか議論されてこなかった。ちなみに、Hayworthは1990年代半ばからアルコー財団のメンバーである。世論には、死を克服しようとする探求は、科学的な探求ではなく、深夜に放送されているコメディーに過ぎないと捉えられている。

こういった現状は、正当な研究で聖域を壊そうとしているHayworthをどこに追いやるのだろうか?

学術的な研究機関にフィットすることは容易ではない。なぜなら、彼のアイデアはタブーであり、無視されることだからだ。ハーバード大学も多くの他者と同様にHayworthと一定の距離をとっている。コネクトームのメッカとも言われるハワード・ヒューズ医学研究所のジャネリア・ファーム研究キャンパスでHayworthは上級研究員として働き始めたが、キャンパス内の他の研究者から彼の脳の保存と心のアップロードに対する関心は、「とても値がdティブなものである」と強く主張した。これは結果的に、彼の雇用を遅延させた。

しかし、Hayworthは平然としており、これから自らの研究の進歩に自信を持っている。「これまでに私たちは、ゲノムや宇宙飛行といったブレイクスルーを起こしてきたが、心をコンピューターにアップロードするということと比べれば、取るに足らないことだ。これが実現すれば驚天動地となるだろう。なぜなら、私たちが夢にも思わなかった可能性が開かれる。私たちが生み出しているコネクトームに関する膨大なデータを見れば、他の神経科学者は意見を変えて、こう言うだろう。"ワオ、未来がやってきた"ってね」と私に語っている。

コネクトミクスは、古いアイデアに新しい視点を与える技術でもある。19世紀半ばに、科学者たちは脳は深く蜘蛛の巣のように張り巡らされたニューロンで構成されていることを知った。脳の構造が少しだけ分かるようになってきたのは、ごく最近のことだ。指の先端ほどの大きさの人間の脳の細胞組織には、5000万個ほどのニューロンがあり、シナプスの数は1兆個近くになる。科学者たちは、すべてのニューロンとシナプスの繋がりをトレースし紐解こうとしている。これができたて人間の脳の一部を顕微鏡でみたら、皿に山のように盛られた細いスパゲッティーのように見えることだろう。

1986年、研究者たちは線虫の1種であるカエノラブディティス・エレガンスの神経系を紐解き、神経回路の地図を完成させた。この線虫は体長が1ミリ程度だったので、体内には302のニューロンと7000のシナプスしか存在し無かった。しかし、神経系を紐解くのに12年ほどもかかったのだ。この研究を先導したのは、2002年にノーベル生理・医学賞を受賞したジャネリア・ファーム研究キャンパスのSydney Brennerだった。現時点でも、コネクトーム(神経回路マップ)が完全に解き明かされたの生物は、カエノラブディティス・エレガンスのみである。ある研究によると、1立方ミリメートルの人間の皮質のコネクトームを解析するのには、100万人がかりでも数年かかるという。

2010年、ハーバード大学で分子細胞生物学の教授を務めるJeff Lichtmanは、コネクトームの分野において指導的立場にある研究者でした。また、同じくハーバード大学の教授であるNarayanan Kasthuriは、コネクトームに関して多くの論文を発表している。彼らの予想によると、人間のコネクトームのデータの大きさは、1兆Gバイトもの生データになる可能性を示唆している。対照的に、ヒトゲノムの解読のデータの大きさは数ギガバイトで済みます。コネクトームは、歴史上もっとも複雑なマップとなることだろう。

しかし、21世紀末までには人間のコネクトームの全容が解明されることが見込まれている。なぜなら、1立方ミリメートルほどの小さな物質を観察するプロセスがテクノロジーの発展により全自動化されるからだ。要するにマシーンとプログラミングが、この時間と手間がかかる煩雑な作業を人間の代わりにやってくれるのだ。これは、Sebastian Seungが自身の新著である「Connectome: How The Brain's Wiring Makes Us Who We Are」に書いていることだ。神経科学は、これまでに使用してきた技術や理論が荒削りだったために、脳がニューロンの塊であるという理解を深める役割は、未だに果たせていない。しかし、Sebastian Seungは、この役割を近い将来果たせると楽観視している。

彼の「神経科学の役割が近い将来に果たされる」という楽観的な考え方の根拠の1つは、ハーバード大学の実験施設にある小さな部屋のカウンターの上にある。それは、ちょうどミシンくらいの大きさで、超ミクロトームと呼ばれる電子顕微鏡用試料の超薄切片を作る装置だ。この装置自体は、過去十年にわたって使われたきたので、特に目新しいものではない。しかし、ハーバード大学の実験室にある超ミクロトームには、Hayworthが自宅のガレージで開発していた技術が備わっている。

Sebastian Seungは、超ミクロトームという装置について説明してくれた。先端に付けられているダイヤモンド刃が細胞組織を30ナノメーター(人間の髪の毛の1000分の1ほどの薄さ)の厚さにスライスする。スライスされた細胞組織は、隣の実験室に運ばれ、電子顕微鏡で画像化される。画像化された数百枚〜数千枚の高画質の写真を積み重ね、コネクトームの塊であるニューラルネットワークを立体でみることができる。

続く

 

元記事:The Strange Neuroscience of Immortality

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